コラム「香雪園を訪ねて」

温泉街を抜けて

 久しぶりに乗った市電を「湯の川温泉」電停で下車する。ここは温泉街の入り口とも言える場所だ。香雪園へ向かうのなら、もう一区間乗って終点「湯の川」電停から歩いた方が近いのだが、せっかくならばと手前で降りた。ここから鮫川沿いに海へとそぞろ歩くのも趣があるし、枝垂柳の道をぶらつくのも情感があって良い。ところどころ、湯気が立ちのぼる風景にも出会えるはずだ。
 電車通りに面した商店街を歩く。ここを自動車で通り抜けようとすると、チェーン店の派手で大きくて味気ない看板と、路上駐車が多い道路の狭さだけが印象に残る。しかし、振り返り覗き込みつつ通りを歩けば、ぽつぽつと興味をそそる店が見つかる。小路の先にも足を伸ばしてみたくなる。やはり、歩いて巡るサイズの街なのだ。
 湯倉神社の階段を見あげると立派な鳥居が見える。温泉の発祥碑を横目で見ながら、湯の川橋を渡ってすぐに左へ折れる。湯の沢川と湯の川が合流する榎本橋を過ぎると、水色の鉄橋が頭上にあらわれる。ライラック橋と名づけられた歩行者専用橋である。もともとは旧戸井線の橋梁が架かっていた場所で、いまは線路跡を再利用した遊歩道となっている。公園のある交差点を右折して坂道を登っていくと、住宅地の背後に森が見えてくる。ここが香雪園である。

明治に想いを馳せる

 たぶん小学生のころだろう。遠足か写生会かは憶えていないが、リュックを背負って砂ぼこりの舞う道をガヤガヤと歩き、ようやく香雪園にたどり着いたという記憶がある。古くからある公園だとは思わなかった。
 敷地に足を踏み入れると、ふっと空気が変わった。風の流れや薫りも違う。散策路からはずれて、赤松のごつごつした樹皮にふれてみる。園全体に植栽されている樹木は、杉、欅、いろはもみじ、枝垂柳、豆桜など、ほとんどが本州から取り寄せたもの。この赤松はもともと道南に自生していたものかも知れない。いずれにしろ、百年間の息吹をたくわえ育った大木なのだ。枝が開けて空と芝生が広がる空間に、ガラス張りの温室が建っている。明治末期の建物だとされ、裏手にまわると煉瓦造りであることがわかる。沈床式(低く掘り下げた)花壇が付属し、ここだけは西洋式で和洋折衷なのが、当時の函館らしさの名残なのだろうか。
 さらに歩を進めると、より緑が濃く鬱蒼とした雰囲気に包まれる。崖上のあずまやから見わたせるのは、川が流れ、池があり、石橋が架かり、書院風の園亭が木々の奥深くにたたずむ風景だ。自然をそのまま生かした景観にも見えるが、実は時間と資力を注ぎ人の手を加えることで、百年後にも残すことができた景色なのだ。枝葉がこすれあう音に包まれながら、落葉の時季には葉を踏みしめながら、ゆっくりと園亭までの小径を歩いていける。
 香雪園の魅力は、庭園や建物が織りなす景観の妙、それだけでないだろう。景色の中にたたずみ庭木を眺め建物にふれることで、明治大正の函館にみなぎっていた街や人の活気(ちから)を心に描きだせる、そんな空間でもあるのだ。湯の川温泉街から少しだけ足を伸ばして、百年の時に想いを巡らせる小旅行へ。ぜひ、体験してもらいたい。

国指定名勝 旧岩船氏庭園(香雪園)

 香雪園は、函館弁天町で久〆一(きゅうしめいち)岩船呉服店を営んでいた岩船家の別荘として、一八九八(明治三一)年ころにつくられた。本格的な日本庭園に整備されたのは、一九二〇(大正九)年に京都の庭師を迎えてからのこと。香雪園という名は、大正時代に当時の京都知恩院管長が「雪の中に梅香る園」という意味で命名している。
 岩船家三代が築きあげた香雪園は、太平洋戦争後に農地として転用されかけたが、市民のための公園にして永く保存したいという嘆願が受理されて、現在までその姿を残すことになった。一九五五(昭和三〇)年に香雪園と隣接のゴルフ場が岩船家から函館市に無償貸与され、「見晴公園」として整備されることが決定された。一九五九(昭和三四)年には市が全敷地を買収し、函館公園・五稜郭公園とならぶ函館の三大公園のひとつになった。二〇〇一(平成一三)年には、国指定名勝(文部科学大臣が指定する景勝地)となり、庭園としては北海道で唯一である。

文 山 潤
函館生まれのフリーランスライター
ものかき工房 http://www2.odn.ne.jp/monokaki/

画面先頭へ移動